30代初めての外資への転職。定時に帰れる! 同調圧力のない職場と、自由すぎる上司への戸惑い

転職を重ねた60代シングルマザーのキャリアノート。 東京暮らしと未経験転職

今は日本企業でも、事務職はフレックス制度が導入されているのだろうな。
と思って、
厚生労働省が出しているデータを確認すると、
令和6年の調査で、
フレックス導入している企業は7.2%、
適用を受ける従業員は11.5%だそうです。
・・・もっと多いと思っていました。

だから、30年前はフレックス制度のある企業はほとんど無かったんですよ、
と書きだそうとしていたのですが
・・・今も、少ないんですね。

私の頭が外資ボケしていますね。
令和の時代は事務職についてはフレックスが当たり前、
と思っているのは、外資系企業で働いてきた故の
勘違いだったようです。

全体の1割とは・・・
これは、働くママさんたち、大変だ・・・
ママさんたちだけに例外的にフレックス適用がある会社もありますが、
統計データでは、その特別ルールがどう扱われているか、わかりませんでした。
実際は昨今、どうなっているんですか?
うちの子供たちは事務職ではないので、わからないのです。

さて、気を取り直して。

当時、私の勤めていた会社にはフレックス制度がありませんでした。
令和の今、私の知っている外資系企業の事務職に対しては、
特別にシフト制が必要なもの以外は
フレックスが積極的に導入されています。
でも当時は時代として、
外資系と言えど、
多くの企業がまだフレックス制度を導入していませんでした。
だから、毎日9時には出社していなければなりません。
遅刻はしっかりと記録されていました。

ただ、定時になったら、自分の意思で帰ることはできました。
そもそも、フレックス制度というものを知らない私は、
その時点では「フレックスでないこと」に不満など感じません。
数年後には、
「フレックスじゃないと働きたくない」
と言っている私ができあがるわけですが、
この時点では、
定時に気兼ねなく帰ることができる、
というだけで喜んでいました。

以前勤めていた日本企業でも、私は、
自分の業務が残っていない限りは、
定時に帰っていました。
ただそこには、「子供がいますので」であったり、
一緒に働いていた事務職の女性は
「総合職ではなく、一般職ですから」
という説明があったりで、
まわりに気兼ねなく
(また気兼ねした振りをすることなく)
定時に帰ることは、一種特別なことだったと感じていました。

でも、この会社では、
上司の顔色を見るとか、
同僚の動きを見る、
という空気が全く無く、
多くの人が「お先に失礼します」とも言わずに、
全員好きに帰ることが当たり前という空気がありました。

残業をしている人もいました。
一人当たりの仕事量は、多かったと思います。
でも、残業する人は勝手にする。
帰る人は帰る。
という、
個人が決定できている空気感のようなものが、
私にとっては新鮮でした。

ただ、だからとにかく快適だったか、と言えば、
関連して、別の戸惑いの種がありました。

上司が、50代の男性だったのですが、
いつオフィスにいるかわかりませんでした。
その上司について、ここではM課長と呼びます。
彼は会社の中でかなり力のある人で、
周りがその人に何も言えない感じでした。
その代わり、みなさんは部下の私に文句を言うのです。
「どこにいるんだ」
「いつ帰ってくるんだ」
「部下なのに、把握していないのか」

そこで、M課長が出かけていくときに、私が
「どちらにお出かけですか?お戻りの予定は?」
と訊くと、あからさまに嫌な顔をされました。
今でも、あの時のM課長の顔を覚えています。(笑)

そういう上司の行動に、しばらく私は不信感を抱いていました。
ただ、振り返れば、
要するにM課長の行動は許されていた、
という事実があったのです。
その会社でそれが許されないことであるならば、
M課長の上司が注意すればよいだけだったのです。
M課長には、M課長の上司である部長も、
きちんとした注意はしていない様子でした。
うすら笑いで、
「頼むよー」
と行動変化を依頼していた程度でした。

とにかくM課長は、
遅刻しているのか、外勤しているのかわかりません。
早退しているのか、外勤しているのかわかりません。
60代の今の私だから言いますが、
結構、単に、自由に勤務されていたのだと思います。
遅刻も、早退もしていたと思います。
セルフフレックス制度です。
それが、許されていたという実態だったのです。

M課長の名誉のために言いますが、
M課長は、とても働いていた人でした。
トータルの勤務時間は長い人でした。
わかりやすい実績も積み上げていた人でした。
社内でパワーがあるには、理由がありました。
さぼっていたのではなく、
力があるが故の、
セルフフレックス制度だったのです。

そのM課長に対して、
私は、それまでの勤務先で培った常識で、
「外出時に行先を明確にしないのは、よくない」
「いくら部長たちが厳しい言い方をしていなくても、
やんわりと注意しているんだから、
無視をしているM課長は正しくない」
と判断し、
まわりの人たちの煽りにものって、
部下の私がなんとかしなくては、
と右往左往していました。
上司に対する遠慮と礼儀がありましたから、
態度には気を使っていましたが
基本「知らせてくれるべき」という意識で、
毎回、行先を聞いていました。
そして、毎回、無視されていました。(笑)

フレックス制度なんてほとんどの会社で導入されていない、
私はそういうものの存在も知らない、
そんな時代にM課長がとっていた行動が平均的だったとか、
全く問題がなかった、とまでは言えません。
今から振り返っても、明確に「問題なかった」とは言いません。
けれど、許されていた事実がありました。
それは、やはりオフィス全体の、
日本企業と比較して
より、「自己管理」が認められている空気
に後押しされたものだったと思います。

勤務時間は固定だけれど、
前の晩遅くまで働いた場合は、
自己判断をした上で、
上司に連絡さえすれば、
業務上の問題がなければ、
ほぼ100%受け入れられる。
それは、こういう書き方をすると、
それはうちの会社も同じだよ、日本企業だけれど。
という言葉が返ってくることがあるかも、と思うところもあります。
確かに、私には、当時の日系企業と外資系企業の客観的な比較データはなく、
単に、自分がいた環境と、新しい環境を比較しているだけです。
どちらも文化・常識は単一ではないのでしょうが、
大きなところで、
当時の日系企業と外資系企業の間で
空気感の違いはあるように感じていたことを、
主観としてお伝えしています。

その会社では、私の中の比較で
「大きめのセルフコントロール」
が許容される空気があったからこそ、
そこから
「さらに逸脱していた」M課長
は、ぎりぎり許されていたのだと思います。

もし、
私がM課長の「居場所」を知る必要がある、
とM課長に納得させられれば、
M課長も行先は教えてくれただろう、
と今ではわかっています。
ただ、実際は、
他部門の方から責められて困っていたこと以外、
私には上司の外出先を知るべく業務上の理由はありませんでした。
他部門の方達も、もし本当にM課長と急いで話したければ、
電話をすればよかったでしょうし、
一人一人パソコンも支給されていたんですから、
メールで会議を申し込むなりすればよかったのです。

M課長は、変わった人だったと思います。
でも、時とともに、
その会社の中でM課長が大きな功績をあげているにも関わらず、
いろいろと理不尽な目にあっているのも、見えてきました。
彼が行先を広く知らせたくない気持ちも、
最終的には理解できました。
(だから、それが完全に正しかった、とは言いませんが・・・)

それまでの経験で培った「自分常識で」上司の行動を批判的に見た自分は、未熟だったと思います。
固定概念みたいなものを「世界の常識」と勘違いしていて、その勘違いに気づいていない時期でした。
ただ、気づくまでには、まだまだ時間と失敗が必要で、多く戸惑っていた時期でした。

次回 : 未経験で転職。東京で初めて務めた外資系。挨拶したら、全員から無視されました。

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【 DonMaMa  の プロフィール 】

20代で離婚し、シングルマザーとして二人の子どもを育てながら働いてきました。

転職、起業、再就職。失敗だらけで、自己嫌悪とも長く付き合ってきました。
それでも働き続ける中で、キャリアも収入も少しずつ伸ばすことができ、子ども二人を奨学金や教育ローンに頼ることなく大学卒業まで送り出すことができました。
世界の人たちと仕事で関わる経験にも恵まれ、物の見方は大きく広がりました。

このブログでは、60代になった今だから見える、仕事、人生、無視できないお金について綴っています。

当時の失敗や遠回りを振り返りながら、今の視点で分析もしています。
あの頃の私に、こういうことを教えてあげたかったな。
あの頃、聞けていれば、私の人生、もう少し楽だったかな。
そんな思いで書いています。

あなたの人生を考えるときの、小さな参考になればうれしいです。

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