入社してしばらくの間、
いじめられているのか、と思うほど
上司であるM課長から無視されていた私ですが。
1年近く経過して、以前の記事で書いたできごとをきっかけに、
M課長が私に仕事を依頼してくれるようになりました。
そして、M課長との間は、日々、毎週、少しずつ改善されていくのですが、
何度か明確に、M課長から私への評価が変わったと思われる出来事がありました。
そのうちの一つについて、今日は思い出話をしたいと思います。
ある日、
コピーを指示されたんです。
確か、300ページ×4部とかの。
例えば、一つのwordファイルを300ページ分印刷するだけだったら、
大した作業ではありません。
でもその作業は、
ステープル留めされていた3枚から20枚ずつの
複数の文書を閉じた太いファイルがあり、
それを4部複製する、
というミッションだったので、
時間のかかる手作業でした。
また、最近の複合印刷機と比べると当時の物は、
しょっちゅう紙詰まりを発生させていて、
片面もあり、両面もありのコピーは、
本当にトラブルも多く、大変でした。
でも、嫌いじゃないんです、そういう作業。
なんなら、鼻歌混じりにやっていました。
以前にご紹介したグループアシスタントのOさんは、
相変わらず暇そうでしたが、手を出してきません。
その時はオフィスにM課長がいたからだと思いますが、
コピー室に入っている私のところにわざわざ歩いてきて、
「そういう作業は、二人でやるより、一人でやった方がトラブルないと思うんで」
と、ニヤリとした笑顔で言ってきました。
彼女のそのニヤリとした笑顔は、特別に意味があったものではなかったと思います。
彼女は、その笑顔しか持っていないように見えていました。
おいしいお菓子の話をする時も、
将来社長秘書になりたいという夢を語る時も、
そして、コピーを手伝わない、と言ってくるときも、
ニヤリと笑っていました。
私は、もともと手伝ってほしいと思っていなかったので、
Oさんのことは気にしないで、
ステープルを外し、4部コピーをとり、
それぞれステープルで留めて、
ファイリング用に4つの山をつくっていきました。
単純作業がどんどん進んでいくのは楽しいものです。
時々のコピー機の紙詰まりも、
お手のもので解決して進みます。
夕方、
「できました」とM課長に納品しました。
すると、中身を確認していたM課長が、
烈火のごとく怒り始めたのです。
こんなもん、使えるか! と大きな声でわめいていました。
面白がって見ている人。
心配して見ている人。
聞こえないふりをしている人。
いろいろでした。
M課長が起こっていたのは、コピーをした時の角度でした。
つまり、コピー機のガラス面の角に、しっかりとコピーされる紙の角を合わせ、まっすぐにコピーしていればいいのですが、
斜めになっているというのです。たしか、2度とか。
あの人、分度器当てたんですよ、本当に。
行政に対する輸入許可申請の文書でした。
その書類に不備があれば、行政は突き返してくることもあります。
突き返されても、再度修正して提出できるのですが、
輸入の予定の間に合わなくなってしまうと、
製品が輸入先または港で止まってしまって、
損害につながるので、スピードは大切なポイントでした。
せっかく準備した書類が、斜めにコピーされていたら、見た目の心象が悪くなる。
すると同じ内容でも、文書の内容の質が低い印象で読まれる。
俺の書類作成の努力の成果を減弱させるのか、
とM課長は怒っていました。
そこに含まれている文書には、M課長が自ら作成して印刷したものも入っています。
そういう文書は単に印刷したものなので、
曲がることなく美しくファイリングされていました。
しかし、中には書籍からコピーをとった参考文書で、
もともと汚れが映っていたり、曲がっているものも含まれていました。
そこまで精密に美しいコピーを撮らなくてはならないとは、
認識していなかったのが正直なところです。
「もういい」
と、M課長は面倒くさそうに言いました。
「明日、Oさんと一緒に取り直す。こんなこともできんのか」
と彼は言って、オフィスを出ていきました。
残された私は、呆然としていて、
そして次第に、腹が立ってきました。
Oさんは、その時、私の向かい側に席をとっていたのですが、
背中を丸めがちにして同情する体勢を取りながら、
低いパーテーション越しに私を覗き込んで来て、
「なんなんですかね、あの親父」と言ってきました。
彼女の真意はわかりませんが、
ニヤリという笑顔は、
正直、感じ悪かったです。
ただ、その時の私には、今から振り返ると大きなアドバンテージがありました。
それは、人生において何度も振り返ることになるのですが、
私にはその時、傷つくプライドがなかった、ということです。
これは本当に幸いでした。
逆の言い方をすると、
年をとって、経験を積んで、役職などを得て、
何が一番「損をしているポイント」か、というと、
無駄な自意識、無駄なプライドが育っている、ということです。
当時の私は、未経験の新人でした。
1年近く上司にも放置されていたので、
何もしておらず、
何の自意識もない段階でした。
ですから、M課長に
オフィス中に聞こえる声で能無し扱いされても、
それを年下年上、先輩後輩、正社員派遣社員、みんなに聞かれても、
全く気になっていませんでした。
怒っていたのは、M課長に対して、でした。
まだ、完全に仲良くなっていなかった段階でした。
さんざん無視されて、
その日だって、
コピーをとれ、と言われただけで、
角度に気をつけて、最高の質でコピーしろ、
なんて言われてません。
なんなんだ、
なんなんだ、
なんなんだ、じじい!!
言い方ってやつがあるだろー!
これでまた、私を無視するのかーー!
と怒っていました。
さて、幸いなことに、
その思いを口に出すことなく怒りを発散させた私は、
行動に移りました。
幸い、M課長はいません。
幸い、Oさんも定時でさっさと帰っていきました。
幸い、残業してもよいという自宅の状態が確認できました。
夕方、ほぼ人がいなくなったオフィスの片隅のコピー室で、
まず私は、
徹底的にコピー機のガラス面を掃除しました。
ガラス面には、
修正液のカスがこびりついたり、
セロテープの粘着物で埃が張り付いていたり、
インクカスが付いていたり、
ポツポツと小さな汚れがありました。
直径0.3ミリ以下のものばかりで、
普段の使用では、みんなあまり気にしないでコピーをとっています。
でも、コピーしたものには
それがポツポツという小さな黒い点として写るのも確かでした。
専用クリーナーを使い、
顔をガラス面に曇りが発生するほど近づけ、
目に見える限りの汚れを取り除きました。
最後にアルコール拭きと乾拭きで仕上げ。
そして、
一つ一つ文書の印刷状態を確認しつつ、
きれいなものは、寸分のずれなくまっすぐに、
もともと汚れがあるものは、できる限り修正液で汚れを覆って、乾かして、
斜めになっているものは、コピー後にまっすぐになるよう角度を補正して、
ただ、そのままとると、紙の縁が斜めの線として写ってしまうことがあるので、
紙をもう一枚、コピー機に対してまっすぐに覆って、
しっかりとガラス面に押さえつけ、コピーをとることで、
追加的汚れを防止しました。
ちなみに、前回と一番大きく違った手順は、
自動原稿送りの機能を使わなかったこと、です。
原稿は全てA4サイズでしたから、
何枚かまとめて自動原稿送り機能を使うことは通常の手順だと思っていました。
けれど、それをすると、特にステープルで閉じられていた原稿は、
互いにステープル跡部分がくっついていて、
ひっぱりあうことがあります。
出来上がったコピーは、少し斜めになったりしています。
2度ほど斜めになっていたコピーの原因は、私がガラス面に斜めに置いたからではなく、自動原稿送り機能を使ったせいでした。
一枚一枚、汚れをとり、角度を補正して、出来上がったものを確認しながら、約300枚、コピーを撮りました。
何時までかかったか、記憶していません。
終電を気にしていたのを覚えています。
その日は、コピーが終わった時点で、
ステープル留めしていない原稿を
M課長の椅子に置いて帰りました。
雪崩にならないよう、1部を椅子において、
残りは別の場所に安置しておきました。
椅子にメモを載せました。
完璧なコピーをご用意しました。
許可をいただけたら、製本に入ります。
爽快な気分で、オフィスを後にしました。
施錠した記憶はないので、まだ働いている人がいたんでしょうね。
さて次の日、
M課長は、
「製本の仕方はわかるか」
という言葉で私との会話を始めました。
Oさんは、
「これ、残業してやったんですか?」
と製本されていないコピーの山を見て、
「なんだ、私は今日大量のコピーの日かと思っていたのに」
と言いました。
私は、製本手伝ってください、と言いませんでしたし、
Oさんも、手伝いましょうか、と言いませんでした。
ただのコピーです。
でも、私は思い出していました。
新卒で入社した会社の上司を、私は尊敬していました。
性格上、いつも何かと文句の多い私です。
でも、上司のことは尊敬していました。
22歳の当時、教えられた小さなことを私は忘れていました。
お客様に資料をお届けするときは、
それを入れる封筒に一つの折れも、汚れもあってはならない。
ということです。
その会社で働いているとき、
まわりのみんながそういう規範で動いていましたから、
私も、何も考えず、学び従っていました。
でも、新卒で入った大企業を離れて、
小さな店舗などで働いていると、
求められるクオリティが全く違うことに慣れていきます。
小さな店舗で初めて働いた時、
あまりの業務クオリティの低さに驚き、
非難がましい私がいました。
でもそれではまわりとうまくやれませんから、
適応していきます。
そして、10年以上の時間が経過して、
私は、新卒の大企業並みのクォリティを
たった一人で当たり前としている
もじゃもじゃ頭の
偏屈な、
まわりから悪口ばかり言われている、
愛すべきおっさんと出会ったのです。
M課長に反射的に腹を立てましたが、
ガーーンと、頭を打たれたように感じた部分もありました。
自分に変なプライドがまだ無くてよかった。
素直に、
自分の業務クォリティの水準が低下していたことを
認められてよかった。
あの日の夕方から夜への時間を
M課長に怒って愚痴をこぼす時間ではなく、
コピーを撮り直す時間として使ってよかった。
経験を積んで、
自意識が変わって、
変なプライドが育ってしまったとき、
わかっていながら、
そのプライドを抑えることが困難だった場面は多くありました。
時々、この時のできごとを思い出し、
少しだけ自分を諫めることをしてきました。
ただの、コピーの思い出話でした。
次回 : 30代未経験転職。やっと上司に認められたと思った頃、会社が買収された。
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