結婚を前提につきあっていた男性に乞われ、東京に引っ越すことになった私は、営んでいた飲食事業を畳むことと並行して、東京での就職先を探し始めました。
再婚を予定していた男性は、普通のサラリーマンで、
当時年収は600万円ほどでしたが、
彼にも離婚歴があり、別れた奥さんが育てる子どものために養育費を送っていました。
その養育費の金額が、うちの子ども二人分と同等の金額でした。
というと、彼の支払う養育費が破格なのか、と誤解されるかもしれませんが、逆です。
少ないのは、うちの養育費でした。(苦笑)
相場並みの養育費を支払っていた彼は、同時に親にも仕送りをしていました。
だから、彼は、お金に余裕のない状態でした。
転職を繰り返す日々の中、私の自分の存在に関する意識が少しずつ変化していったことは、これまでの記事で書かせていただきました。
お金のない彼とつきあうにあたり、私は完全に、
自分たちの生活は再婚相手と折半で、
子どもたちの教育費は私が稼ぐ、
と決めていました。
特段、彼から何か言われたわけではないのですが、過去を振り返り、未来についても少しずつ想像する力をつけていった私は、子どもの教育資金について他人に左右されるのは嫌だな、と思うようになっていたのです。
誰かのお金をあてにすれば、私の意向で子どもの教育方針や進路先を決めることができなくなってしまいます。
もし、私が稼ぐお金が足りなければ、
その結果、自分の子どもたちに何を諦めさせるかは、
母親である私が決めたい、
という感覚を固めていました。
だから、より一層、私は世間並の収入を得たい。
でも、もう店舗勤務はしない。
あと、安直な起業はしない、
という教訓を得ていたことは、私たち家族にとって幸いだったと思っています。
人並みの給与をくれる会社を探しました。
引っ越す前から、東京の仕事が乗っている転職雑誌を読み漁り、
60通ほど、履歴書を出しました。
ほとんどの会社から、返信すら来ませんでした。
不採用にしても、返事くらいできないのか?
と腹をたてていました。
仕事が見つかっていない状態のまま、東京に引っ越しました。
引っ越しにもお金がかかり、彼が大分費用負担をしてくれました。
仕事がないままに、私の手元にあったお金は、
200万円程度だったと思います。
そして実は、飲食の事業のためにつくった借金を100万円ほど抱えていました。
借金については毎月少しずつ返済すればよいものでしたが、
気になってしまうのはどうにもなりません。
あまりに履歴書提出後の反応がないので、私は事務職をあきらめ、
また店舗勤務をするしかないか、と考え始めていました。
ただ、店舗は拘束時間がどこも長いことがネックでした。
いっそ、変則的勤務だけど、彼と協力して家事をこなし、タクシードライバーでもしようか、などと真剣に考えていました。
保険の営業も考えました。
勤務時間と、給与条件がターゲット内ならば、どんな業界のどんな種類にも応募する勢いでした。が、書類で通らないので、虚しさと不安の日々を数か月過ごしました。
年収1000万円可能と書かれていたある保険会社に電話すると、
この仕事は男性を想定しています、
とハッキリ言われました。
当時も、理由のない男性のみの募集は禁止されていたと思いますが、募集広告に書かれていない選別があることは、みんな承知していたのではないかと思います。
あらためて、私はどの会社でも使ってもらえない、厳しい立場なのだな、と自覚していました。
逆に、離婚後、3社目の大手企業に就職できたこと自体が奇跡だったのかも知れない、とも考えていました。
子どもたちは、新しい学校に入り、東京での生活にも少しずつ慣れようとしていた頃、
いきなり、二つの会社から、良好な反応をもらいました。
まるで、就職マーケットでのモテキがいきなり来たような感覚です。
なんでしょう。
時期って、あるんでしょうか、どんなものにも。
実はこの時の就職は、私のその後のキャリアを形作る、非常に重要な礎となりました。
その就職成功まで、お金が無くなっていく不安に耐えることができたのは、
それまでの失敗経験があったからだと思います。
本当に、何かをすれば、リスクもありますが、得るものは必ずあるものです。
さあ、30代の私は、全く予想も認識もせず
バリキャリへの偶発的なスタートを切ることになります。
次回 : 30代無職シングルマザーの再就職。60社に応募して、返事すら貰えない! そこから、とうとう就職した話
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