未経験での入社から2年も経過していない時期での、
いきなりの、主任も係長も飛ばした、
課長(マネージャー)への昇進。
今から振り返れば、当時の私は、
なんと社内で一種特殊な存在となっていたことでしょうか。
キラキラとして見えていたかも、という推測も成り立ちます。
そして、光り輝く時には、それ相応の覚悟や対応が必要です。
光が強ければ影ができる、という言葉はよく言ったものです。
しかし、当時の私は、全くの無自覚でした。
いつもの、
何もわかっていなかった
というやつです。
あまり口をきいたことのない他部門の人達が、
わざわざ席まで来てくれて、
「おめでとうございます」
と言ってくれました。
若い人より、比較的年上の男性たちが次々と来てくれました。
それに対して私は、
「これまでより重い責任を背負った私に、おめでとうってどういうことだろうか」
と、本当に理解できず、
キツネにつままれたような気持ちでした。
表面的には、それでもよかったと思っています。
私はお調子者の部分がありますから、
嬉しい時は顔に出ます。
その時は、特段嬉しさに溢れていたわけではないので、
神妙な顔で
みなさんの「おめでとう」を受けていたと思います。
わくわく・きゃぴきゃぴしているより、
大人の対応に見えて、良かったのだろうと思っています。
まずは、それまで通りの仕事の日々が始まりました。
というより、続きました。
ただ、名刺に「マネージャー」という役職がつき、
得意先の方にもM課長が私の昇進を話してくれて、
新しい名刺を渡してご挨拶するうちに、
自分の扱われ方が少しずつ変わっていくのを、
ほんの少しずつ、
感じるようになっていたと記憶しています。
M課長が、メールの宛先に私をCCに入れてくれるようになりました。
より仕事の全体像が見えるようになりました。
派遣のOさんは、
「偉い女は違うね」
というニヤリとした笑顔での嫌みを
ことあるごとに言うようになっていました。
私はそれを言われても、
Oさんの嫌みについては全く気にならず、
それより、
「偉い女」という言葉と自分が全く結びつかず、
みなさんに「おめでとう」を言われたときと同じような、
「理解できない」
「うけとめられない」
というフワフワした感覚を持っていました。
そして、
全く口をきいたことが無い別の部署の女性たちに陰口を言われ、
たまたま廊下でそれを耳にする、ということもありました。
具体的な悪口ではなく、存在や昇進に関する悪意のある噂という類のもので、
私個人へのダメージはあまりなく、
「なんか知らない人に言われてる・・・」
と不思議な感覚でした。
男性陣のほとんどが、見える部分ではたしかに暖かく、
「おめでとう」という言葉と矛盾のない態度をとっていてくれました。
ただ一人、隣のグループの部長については、
「まだ早いよ」
と言われました。
その部長は、時々私に
文書作成などのアシスタント業務を依頼していた人で、
私が作ったドラフトをいつも真っ赤にして返してくれました。
私は、日本企業で育てられた22歳の頃、
当時の上司から相当厳しい文章チェックを受けていました。
だから、文章に赤を入れられることには慣れていました。
22歳当時、上司が赤入れしたものを見て、
「あ、真っ赤だ」と思ったことを思い出しました。
でも、30代になってこの頃、あれは、「真っ赤ではなかった」
これが「真っ赤だ」と思いながら、その部長から
A4 2-3枚が文字通り真っ赤になった文書を受け取ったものです。
今、私は自分が部下の文書を確認する側の立場です。
その立場で考えを言うならば、
全てを修正するレビューは、「書き直し」です。
冒頭が好みでないからと書き直せば、
その後も当然、書き直さなくてはならないことになるでしょう。
今の私ならば、
理由を説明して、文書作成コンセプトを変えるよう
書いた人に依頼するでしょう。
理由の説明無く、
全て真っ赤に取り消し線や斜線を入れて返すことは
しないと思います。
また、「自分の好み」に合わせた修正自体、
今の私はNGだと思っています。
文章表現や資料の構成には個人の好みがどうしても出ます。
構成を好みに合わせてほしい場合は、事前に構成を指定しなくてはならないし、
文章そのものを好みに合わせたい場合は、自分で書くしかないのです。
当時は、私は他者の文章をレビューしたことがないので、
単に何度も真っ赤にされることに混乱と不満を感じていました。
その部長は、彼の赤入れに従って全てを修正しても、
また、真っ赤にして返してくることが毎回だったのです。
何度も繰り返し、時間切れになるまで、合格はもらえませんでした。
「これ、あなたの指示に従ってそのまま直したんですよ」
と不満をぶつけたことがあります。
部長は「そうか」と言って、自分の再度の赤入れを撤回し、
その原稿を受理してくれました。
その部長に「まだ早い」と言われて、正直、むっとしました。
そんなに大きな怒りとかではなかったのですが、
「散々、雑用してあげたのに。他の人みたいにおめでとうが言えないの?」
というぐらいの軽い不満でした。
ただ、今から振り返れば、私は本当にまだ早かったのです。
それは事実でした。
仕事の専門知識は長い待機時間の間に、十分会得していました。
今でも、もう思っています。
仕事の経験は、不足であったことは確かでしょうが、
では、何年やれば十分か、について基準がありません。
それより、足りなかったのは、認識です。
認識が足りない、というのは、つまり、経験が足りないということだったのでしょう。
業務の経験というより、その立場・環境に対する経験が足りなかった、と言うべきでしょうか。
その環境での仕事、その立場での仕事をしていると、
いろんな人たちの好意的・否定的反応があり、
業務プロセス以外に承知しておかなくてはならないことがあり、
なかなか文章化されない勘所みたいなものが生まれてきて、
経験のある「マネージャー」というものになります。
未経験で入社して、まだ2年も経験していない私には、
そういうものが、本当に足りていなかったのです。
ただ、仕事はできていました。
スマートにさくさくとできていたわけではないでしょうが、
問題なくやるべきことはできていました。
だから一概に、昇進や昇給が早すぎたとは、会社の側から見れば、言えなかったと振り返っています。
けれど、当人、つまり私にとっては、そういう経験の足りなさが、その後しばらく、全てが苦しみとなって襲ってきました。
一旦、何もわかっていなかった、無邪気に毎日がんばって働いていた
新人マネージャーの私の話に戻ります。
あの昇進は昇給のために必要だったわけですし、
当時の同年代の同僚たちの給与と比較すると、
私の入社当時の給与が著しく低かったのも事実です。
だから、あの時の昇格・昇給自体は、間違っていなかった側面はあったと思います。
なおかつ、そこにはM課長の別の思惑も絡んでいたと直ぐに知ることになります。
こちらの方が、本当に大きな爆弾でした。
私がマネージャーになって、
それまで見せて貰えなかった部分のメールなどのコミュニケーションが開示され、
一つずつ、M課長が会議で発表していたものが、私の作業に移され、
私も数週間、
「いろいろと訓練してくれている」
と、ありがたく思いながら、働いていました。
残業もそれまでとペースは変わらず、
なんとか、このまま乗り切っていかれるかと思っていたある日、
M課長が私を会議室に呼んで、言いました。
「俺、会社辞めるから」
と。
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