しばらくぶりに、シングルマザーとしての生活の話です。
婚約者に誘われて、私は子供たちと一緒に東京へ引っ越してきました。
自分が無職の状態で、婚約者の仕事の都合を優先して住む場所を決めたため、
毎日の通勤には片道2時間平均かかっていました。
最初は残業をしないことで何とかやりくりできていました。
けれど、職場で少しずつ仕事を任されるようになり、
日帰り出張が入り、残業も発生するようになっていました。
婚約者は自宅から近い場所で働いていたので、
私が残業の時には子供たちと食事をしてもらう。
緊急時には急いで家に戻ってもらう。
そんな形で助けてもらっていました。
結婚を前提に同居していたにもかかわらず、
私たちはすぐには結婚しませんでした。
理由はいろいろあります。
そのうちの一つに、彼と彼の義実家との問題がありました。
以前にも書きましたが、
彼は、「長男だから」と実家に仕送りをしていました。
離婚歴があり、元奥さんが養育している実子の養育費も払っていました。
私と出会ったとき、彼は最低限の生活をしていました。
私たちと暮らし始めて、私が就職してからは、私の収入と合算していましたから、
生活は普通だったと思います。
でも、余裕はありませんでした。
そんな中、彼は両親との会話の中で、
彼の実家の両親の年金額が、月額30万を超えていることを
知りました。
そこで彼は、実家への仕送りを辞めるという話を父親にすることにしました。
彼は、時々話し合いのかけらのみを私に教えてくれましたが、
その他ほとんど、私は知らないままです。
ただ、彼が良心との話し合いの中で苦しんでいる様子は見えました。
仕送りを止める頃には、かなり元気がなくなっていました。
ある時、彼が言いました。
「仕事辞めていい?」
と。
理由はわからないけれど、続けられなくなったそうです。
当時の私は、いつも少し混乱していました。
婚約者の問題なのか。
婚約者の実家の問題なのか。
私の問題なのか。
全てが、よく分かりませんでした。
少し話の時間軸を戻しますが、
離婚した時から、私の中には一つのルールがありました。
それは、
子供たちが小学校に上がるまでに再婚相手と出会えなければ、
再婚はしない。
子供たちが完全に大人になるまでは、恋愛もしない。
というルールでした。
もちろん私は児童心理学の専門家ではないけれど、
子供たちが未就学児の段階で相手に懐けば家族になれるだろう。
懐かなければ、それは最初から再婚相手ではない。
子供たちが小学校に上がり、思春期に近づいていけば、
そこから私が新しく出合わせる大人は、「他人」のままになる可能性が高いだろう。
その人を家にいれるわけにはいかない。
そんな考えで、再婚相手との出会いのタイムリミットは、
離婚後3年以内、
と決めていたのです。
正直、60代になった今から振り返ると、
だったらそもそも再婚とか、考えなくてもよかったんじゃないの?
と思うところもあります。
だけど当時は、
「再婚したかった」
「暖かい家庭が欲しかった」
という気持ちで走っていたのが現実です。
最初から再婚は不要だったかも、と考えている今の自分は、
いろいろと行動して、悩んで生きてきた結果の今ですし、
今でも、当時の私にそういう考えに至ることは無理だっただろうな、と思っています。
まあ、とにかく、私が決めたマイルールのせいで、
結婚を前提に東京に越すとなった時点では、
彼は、家族なわけです。
彼と別れるということは、「もう一生再婚はしない」とイコールでしたから、
「また別の人と知り合おう」という気持ちは無く、
彼が残るか、残らないか、という選択肢でした。
次の人と出会うことを想定していない人生では、目の前の人と別れることを急ぐ必要はないことにもなります。
これもまた・・・
今から考えると、さっさと別れるとか、そういう選択肢あったかも
と思うこともありますが・・・
で、その家族の一員としての婚約者が苦しんでいたので、
「仕事を辞めさせなきゃ。休ませなきゃ」
と考えました。
だから私は計算をしました。
私の収入が手取りでこれぐらい。
貯金がこれぐらい。
生活できるか。
子供たちを守れるか。
家賃は払えるか。
無理。一人の収入では、東京では暮らせない。
だけど、これ以上職場から遠いところには越せない。
なぜ、首都圏の家賃が近いか、理解した。(今さら?)
どうしよう・・・
ちょうどその時だったのです。
M課長から昇格と昇給を打診されたのは。
だから、飛びついた結果になったのですが。
昇格について私は、予想もしていなかったし、
望んでいたわけでもないし、
欲しかったのは昇給だけなのですが、
それがセットになっていることは理解していて、
その上で、もしかしたら、
管理職になったらもっと残業も増えるかも、
と怯える気持ちもありました。
そこで私は彼に言いました。
「仕事を辞めてもいい」
「でも、その代わり私は今打診されている昇格を受ける」
「給料は増えるけれど、残業も増えるかもしれない」
「だから次の仕事は、自宅の近くで、定時で帰れる仕事を探してほしい」
と。
彼は承諾しました。
私は昇格を受けました。
この時から、生活費を稼ぐ責任は主に私の肩に乗りました。
それまでも、彼の仕送りのせいで、家庭に入れるお金は私の方が多かったんですが、
気持ちは多分、男性である彼を頼っていたのだと思います。
その時からは完全に、
「私が稼いで家族を食べさせなければ」
という意識に変わっていました。
何か、私という人間の中で、大きな何かが変わったというか、
剥がれ落ちた時だった
と、今では認識しています。
女は早く結婚して、子供を産んで、家庭を守っていくもの。
男は外で働いて、お金をもってくるもの。
そういう時代だったんです。
特に田舎では。
特にうちの両親の感覚では。
私の成績が良くても、
私の気が強くても、
私の行動力があっても、
全てそれは、女性にとって「邪魔なものである」と父に言われて育ちました。
納得しないまでも、染み込む価値観ってあるんです。
ただ、これは今の私がしゃべっています。
当時の私は、ただ、彼を含めた家族を守らなくては。
だから、私が稼ぐ。
と思っていただけです。
結局、私と彼は結婚をしませんでした。
私が稼いで、
彼が早めに家に帰ってくれる。
けれど、彼は主婦業をしてくれるわけではなく、
単に、「男性としては、よく手伝ってくれる」という状態で終始しました。
だから、稼ぐ以外の、家や子供の養育の切り盛りも私の手から離れることは無く、
仕送り停止の件を私のせいだと思ったらしい彼の両親とも疎遠になり、
結婚の必要性がわからなくなってしまったのです。
苦しまなかったわけでも、
悩まなかったわけでも、
彼と喧嘩をしなかったわけでもありません。
必死で働いて、子供たちを守る生活の中で、
私は少しずつ、
現状を受け入れていきました。
両親から、元夫に依存相手を移し、
元夫から、まだ見ぬ再婚相手に期待し、
再婚相手と出会ったつもりが、
いつの間にか結局、社会の荒波の中を、家族を抱えて、じたばたと生きている。
私が、
自分の足で立っていいのだ
という価値観を自覚するのは、まだまだうんと先です。
どうやら行動の後に認知が来るらしい私ですが、
家族が一番お金が必要な時に、
会社が大きな昇給を提示してくれたことで、
私が人生の岐路を切ったことは確かです。
あの時、昇給話がなかったら、
彼に「仕事を辞めて良い」とは言えなかったかもしれません。
その後、しばらく仕事に復帰できなかった彼を責めてしまっていたかも知れません。
東京での仕事を諦めて、地方に戻っていたかも知れません。
不思議なタイミングでした。
次回 : 30代未経験転職。主任も係長も飛ばして課長昇進。でも私は何もわかっていなかった
体験談を最初から読む
記事一覧から選ぶ

コメント