30代未経験転職。最悪だと思っていた上司、M課長の正体!

転職を重ねた60代シングルマザーのキャリアノート。 東京暮らしと未経験転職

今日は、M課長のお話に集中したいと思います。
M課長って、簡単に説明できない人なんですよ。

みなさん、こんな話って聞いたことありますか? 
私は、時々引用するんですけれど、

ある男性がいます。

Aさんは、その人をこう説明しました。
髪はいつもぼさぼさで、
スーツは何年も着古しているらしく、
デザインは古くて
よれよれ
そんな人です。って。

Bさんはこう説明しました。
その人は、飾らない人です。
高級そうな持ち物をひけらかすことはなく、
庶民的です
そんな人です。って。

おわかりですよね。
どちらも同じ人のことを説明していて、
説明の箇所を変えるだけで人物に対する印象が変わってしまう。

M課長は、最初、私にとって「とんでもない人」でした。
仕事を教えてくれない。
仕事の指示も出さない。
外出先を聞けば機嫌が悪くなる。
部署の管理してる業務関連文書を見れば、怒って鍵をかけて、私を締め出す。

でも、実は、M課長は、
その会社に20年近く勤めている一番の古株で。
日本支社(東京本社)を立ち上げた時からのメンバーでした。
年間100億を超える売り上げを叩きだす製品を育て上げ、
定期的な輸入業務をこなし、
製品改善を引き続き実施し、
大型主要製品の開発から出荷までの、川上・川下全ての取引先がM課長の担当でした。

以前、M課長は部長だったそうです。
こういう話、もちろんM課長は何もしないので、詳細はわかりません。
M課長が、
会社にかなりの貢献をしているのに、
部長から課長に降格になっていた事実も、
私はM課長から信頼を勝ち取った後、
M課長のパソコンのデータ整理をしていて、
古い履歴書を見つけたことで知ることとなったのです。
別の記事で、
私が人事部から「給与の話を社内でするな」と注意された話をしましたが、
みなさん見事に、
M課長が以前部長だったという話を噂や悪口に入れない、素敵な人たちでした。

どうしてM課長が降格になったのか、私は知りません。今でも。
ただ推測するに、
M課長の業務上の貢献度は事実だったとしても、
あまりに正直なコミュニケーションが
問題になることが多かったのではないでしょうか。

M課長はお世辞を言わない人でした。
得意先にも、気を使って礼儀正しくつきあう中で、
お世辞を言う場面は見たことがありません。
難しいお役所の人との会話で、
一度お世辞を言うのをみたことがありますが。
・・・本当に、
一緒にいる私が隠れたくなるほど、
見事に嘘くさい、
お世辞でした。(苦笑)

ただ、人懐こい笑顔があるので、
お役所の人も
不器用で人の良さそうなM課長の
嘘っぽいお世辞で、
笑っていました。

そう、M課長は、
人懐っこい笑顔が魅力の、
人懐っこいおっさんだったのです。

私が距離を置かれていた時には、
彼の笑顔なんて一度も
想像すらできませんでした。
1年近い時間の中、M課長はオフィス内で、
私の知る限り一度も
笑顔を見せなかったのです。

M課長と年齢の近いまわりの男性陣は、
いつもM課長の悪口を言っていました。
M課長が言われる悪口は大体、
「情報を隠す」
「会議に出てこない」
「何考えているかわからない」
など、コミュニケーションが無い、という点についてだったと思います。
誰かが深刻に腹を立てているとか、
恨んでいる、
ということはありませんでした。

対して、M課長の上の部長については、
誰もが真剣に腹を立てたり、恨んだりしていたんです。

嫌われても仕方のない人だったと思います。
人を人前で馬鹿にする。
判断に落ち着きがない。
自己愛が強すぎる。
金持ちのボンボンらしく、なんだか身に着けるものが高級。

M課長は、この部長を毛虫のように嫌っていました。

私ですか?
私は、この部長とは、それなりに仲良くしていました。
M課長に対するものとは全く種類が違うのですが、
なんとなく、この部長の「人の好さ」みたいなものを感じていたからです。
部長の人の好さは、
生まれ持っての天真爛漫、という空気感のようなものでした。
余裕のある人生を送ってきたらしい、
明るく、根に持たない雰囲気がありました。
でも、軽かったり、人の怒りの反応が予想できないところもありました。
私は、後に、
部長に対して怒鳴る、
という事件を起こしているのですが、
それはまたいつか、お話しします。

ただ、部長を怒鳴っても、
部長からはいじめられませんでした。
そういう、陰湿ではない部分をなんとなく感じ、
私は部長を
「嫌い」とまでは感じていなかったのだと思います。
けれど、

M課長は、部長を毛嫌いしていました。

まず、相性が徹底的に悪かったのだと思います。
M課長は、コミュニケーションが、「普通」の人です。
オフィスの中で、M課長は「貝になっていた」事実はありました。
でも、他の部分が見えてくれば、
総合的には、普通の人でした。
コミュニケーションの量においては、という意味です。

対して部長は、
「コミュニケーション多め」な人と言えばよいでしょうか。
英語がペラペラで、
大勢の前でプレゼンテーションするのが好きな人。
会議では空気を読まないほどに黙ってはいない人。

もう少し比較します。

M課長は、
色々と担当業務を抱え、
具体的な実績を重ねている人でした。
だけど、プレゼンテーションとか、報告にあまり興味のない人でした。
20年近くの歴史により、外国本社の大勢がM課長を知っていて、尊重していました。
日本国内でM課長のまわりでは、社長が何年かに一度交代し、事業部長も同様でした。
そして部長も、私の入社より2年先に入ってきたばかりの人でした。
そんな国内環境だったからだと思いますが、
コロコロ変わる上司たちに、一から仕事の説明を繰り返すのが、
M課長にとっては
意味のないことに見えたのではないかと思っています。
外国本社には、社歴の長いM課長の同士がたくさんいて、
M課長は、その人たちとは密にコミュニケーションをとっていましたから
「問題ない」と思っていたのでしょう。
外国本社も、彼については問題があるとは思っていなかったようです。

しかし、後から入ってきた上司としての部長にとっては、
会社の仕事の重要部分をほとんど担当してきたM課長の
説明が不足していることを看過できなかったのでしょう。
M課長の部門を含む自分の部門が
理解できていないことになりますから。

説明を求めますが、
M課長がはぐらかします。
実際、M課長は本当に忙しくしており、
オフィスにいなかったので、
それがM課長には幸いとなっていて、
部長にはフラストレーションになっていたのです。

そして採用されたのが、私でした。
部長が私に、M課長のことをいろいろと訊いてきた理由もあったわけです。
ただ、なんとなく警戒するものがあり、
私が部長に意味のある情報を伝えなかった。

M課長との業務がどんどん増えて、
私がいろいろと知ることになっても、
私は部長に核となる業務情報を伝えませんでした。
私は、
仕事をしている姿が見えず、
喫煙所でおしゃべりばかりしていて、
そのおしゃべりの内容からも誠意とかをあまり感じない、
けれど、
プレゼンテーションだけはとっても素晴らしい、
そんな部長を
この人、怪しい
と感じていたのです。

私が部長に重要な情報を漏らしていないことも、M課長と私の距離を縮める加速材になりました。・・・多分。

M課長と近づいて、
その業務に対する姿勢と成果、
取引先の人達との関係を見るにつれ、
「この人、すごく頭の良い人で、実行力のある人だな
という印象が、私の中で大きくなっていきました。
無駄を極端に嫌う、
というと少し印象が違って、
無駄を面倒くさがるのです。
丁寧な仕事をする人ではなく、
肝心な部分を抑えている人でした。

実際にあった出来事を一つご紹介します。

M課長と私がタクシーにのっていました。
支払いの時、
M課長がスーツの胸ポケットから
茶封筒を取り出しました。
自分のお金はお財布に、
会社の経費は茶封筒に、と分け、
混ざらないようにしているんだ、
と説明をしてくれましたが、
茶封筒には、穴が開いていて、
硬貨が無くなっていました。
けれど、M課長は笑いながら、
茶封筒がポケットの中で敗れた場合は、硬貨はポケットの中だから大丈夫、
と私に彼独特のリスクヘッジについて講義してくれたのです。

もう一つ、こんなこともありました。

業務上、300万を超える金額の支払いをしなくてはなりませんでした。
でも、会社で振込処理をするには時間がありませんでした。
なぜなら、M課長は振込期限の当日に支払いをしようとしていたからです。
その金額だと、仮払いもできず、
「どうするんですか」と言うと、
M課長は「大丈夫」とニッコリ不敵に笑います。
そして、ATMに行って、
300万以上の現金を下ろしてきました。
「時々ギリギリになるから、普通預金口座にこれぐらいは入れている」と、
自分の性格と業務の忙しさによる余裕のなさを見越した
リスクヘッジについて自慢げに説明してくれました。
当時は、ATMで結構な額が出金できたんです。
特殊詐欺とかが、まだ話題になっていなかった時代でした。

ここでお話しした事例は
バカバカしいような内容のものですが、
本当に会社の業務に直結する話は披露できないので、
サイドストーリーを共有しました。
業務全般に
彼のリスクヘッジは張り巡らされていて、
決して器用な人ではないのに、
仕事の結果を出していくんです。

頭ぼさぼさのおっさんですが、もはや、格好いいとすら・・・
いや・・・さすがに「格好いい」とまでは、感じなかったか・・・うんうん、さすがにね・・・

多くの取引先には人気者
少数の難しい取引先もなんとか裁き、
製品の開発を担い、
関係省庁との折衝もこなす。
業務関係の知識で知らないことはないのかと思うほど、
何でも知っていて、
社内の他部門の若手リーダーたちが、
ちょこちょこと相談にもやってくる。
外国の本社との対話も英語でこなす。
私の性格と能力も、評価してくれて、
仕事は教えてくれないけれど、
ある時期からは情報を全面開示してくれた。
私が部長に重要な業務情報を漏らさないことも、
言葉で確認することなく、状況から見て取って信用してくれた。

かなり長い間無視され、
不信感の塊でM課長を見ていた私でしたが、
2年目に入ってその評価は大きく反転したのです。

そして、嬉しいことに、
まわりの先輩方が、
目に見えてわかる私との関係性の変化と絡めて、
「最近、M課長、明るくなったね」
とか
「最近、M課長オフィスにいる時間増えたよね」
とか
「Don MaMaさん、文書室の鍵、管理させてもらっているの? すごいね」
と言われる状況になったことは、嬉しいことでした。
ただし、
文書室の鍵については
M課長の許可を得て指示通りの文書を取り出す以外は
使うことは許されていなかったんですけれどね。

なぜならば、
文書室もキャビネットも、M課長の机の上も、
それはそれはぐちゃぐちゃで。
大きな塊とか、山とかがいくつもあって。
その中からM課長は
必要なものを、スッと取り出す名人だったのです。
ということは、絶対に他人が触ることはタブーなのでした。

会社の業務では、それはさすがにまずいでしょう、おっさん・・・ (by 当時のM課長の年を追い越したDonMaMa)

次回 : 30代未経験転職。「こんなもん使えるか!」と怒鳴られて怒った私と、忘れていた仕事の品質基準

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【 DonMaMa  の プロフィール 】

20代で離婚し、シングルマザーとして二人の子どもを育てながら働いてきました。

転職、起業、再就職。失敗だらけで、自己嫌悪とも長く付き合ってきました。
それでも働き続ける中で、キャリアも収入も少しずつ伸ばすことができ、子ども二人を奨学金や教育ローンに頼ることなく大学卒業まで送り出すことができました。
世界の人たちと仕事で関わる経験にも恵まれ、物の見方は大きく広がりました。

このブログでは、60代になった今だから見える、仕事、人生、無視できないお金について綴っています。

当時の失敗や遠回りを振り返りながら、今の視点で分析もしています。
あの頃の私に、こういうことを教えてあげたかったな。
あの頃、聞けていれば、私の人生、もう少し楽だったかな。
そんな思いで書いています。

あなたの人生を考えるときの、小さな参考になればうれしいです。

東京暮らしと未経験転職離婚後の生き直し
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