毎日、暇でした。
オフィス中に、
カタカタカタカタ、
他の人たちがキーボードを叩く音が静かに響いています。
誰もしゃべりません。
人生で経験した、一番静かなオフィスでしたね。
時々電話が鳴りますが、全体的に架電も少ない部署でした。
私だけは、
目の前に置かれたパソコンを操作するための
「仕事」がありませんでした。
上司であるM課長はほとんどオフィスにおらず。
いる場合は、私の隣の席なのですが、
いつも不機嫌にパソコンを操作しています。
ほとんど口をききませんし、
私が何か質問をしても、
答えはぶっきらぼうです。
M課長が率いるうちの部署がどんな仕事をしているのか、
入社時点で教えてもらった情報以外わからないままに、
時間を過ごしていました。
うちの部署の構成員は、私以外では、
M課長と派遣のアシスタントさんの二人だけでした。
私同様、派遣のアシスタントさんも仕事がほぼ無い状態でしたが、
一日中ネットサーフィンをして、ご機嫌そうでした。
私は最初、まわりの様子を伺いました。
そして、少しずつ仲良くなっていった先輩たちに聞き込み調査をしました。
でも、誰も、M課長とその部門が担っている仕事について、
私が知っている以上のことは知りませんでした。
次に私は、M課長が管理している文書室に入りました。
6畳ほどの部屋の中に、向かい合わせで天井までの書棚が設置されており、6本分のキャビネットの80%は、ファイルで埋まっていました。
整理されていない紙類の山もありました。
人生で、ああいう雑な状態を見たのはそれが最初で最後です。
契約書、データ、製品の規格表などが、
クリアファイルに入っていたり、封筒に入っていたりの状態で、
文書室の片隅に山になっているのです。
私は、その分類とファイリングを始めました。
そして、一つ一つに目を通し、
M課長と「私の」部門が何をしているのか、
学習を始めました。
多分、一週間も過ぎないころ、
私のしていることに気づいたM課長が
カンカンになって怒りました。
そして、それまでガサツなまでに開けっ放しになっていた
文書室やキャビネットのカギが全て施錠され、
M課長がカギを管理するようになりました。
私は、
猛烈に怒っていました。
心の中で。
いろいろな経験をした今の私には、M課長の行動が理解できます。
共感も少しはできます。
でも、同じ行動をとることはありません。
・・・さすがに、かなり、やばいので。(苦笑)
あの時私は、M課長の上司である部長に、
アーカイブ情報から締め出された話をしたんです。
ただそれは、「言いつける」とか、そういう感覚が全くない世界での会話でした。
当時、外資系企業は日本企業よりずいぶん早く、
「ビル内全て禁煙」を実践していました。
喫煙者たちは、会社建物脇の喫煙所にたむろして、
おしゃべりしながら煙草を吸っていました。
私は煙草は吸いません。
でも毎日暇だったので、
会社の内外をウロウロしているうちに、
喫煙所で、コーヒーを片手に喫煙者たちとおしゃべりすることが
時にあったのです。
その中にヘビースモーカーの部長がいました。
今から思えば、私は部長を部長と思っておらず。
上司であると理解していながら、
友達のような態度で接していました。
別に友達ではありませんでした。
友達だと思ったこともありません。
ただ、フランクな会話をしていたな、という記憶と、
M課長については、いろいろと質問され、
軽くいろいろなことをしゃべっていたな、という記憶から、
「友達感覚」という言葉が一番近い気がします。
実はこれ、ある種の危険な状態です。
先輩たちの中には、私の行動を心配してくれた人もいました。
確かに何となく、
私は部長が何かの情報を欲しがっていると感じており、
そして多分、部長の欲しがっている情報は避けてしゃべっていたと思います。
この部長とは、友達のように話していたとは言っても、
本当の意味で腹を割って話したことはないので、
今から振り返っても、部長が当時何を考えていたのか、
部分的にしかわかりませんが、
私が部長の計算通りに動かなかったことは確かなようです。
私とM課長、私とその部長とのつきあいは、結局、その後それなりに続き、
後々、二人からそれぞれいろいろなことを聞かされる中、それを知りました。
アーカイブから締め出された話も、
私は、ただ雑談で自分の怒りを出していただけでしたし、
部長は、げらげらと笑って聞いていただけでした。
「それは問題だね」とか、
「僕がなんとかしてあげよう」
という反応は全くありませんでした。
「それ、やっばいねー」って感じでした。
部長、あなたはあなたで相当に変わっていましたし、
課長の上司、私の上司としての管理職としての職務怠慢もありましたよね・・・
そんな環境の中で、M課長のことだけを特別に「問題だ」と言い続ける感覚にはなれなかったというのも、あったと思います。
私は、怒ったり、不安になったり、いろんな感情を感じながらも、
誰かに助けてもらおうという考えは微塵も持ちませんでした。
業務関連の書類が見られない私は、
次に、本棚に行きました。
そこには、業界に関わる法規制の本や、部門が担当している専門的業務の指針や、大学の教科書になるような化学や技術関連の教科書、一般的な「契約書の作り方」などの本が並んでいました。
私は暇な時間にそれらの本を順に読み、
うちの部署の業務と直接的に関係がありそうな部分を抽出し、
マニュアル作成をしました。
つまり、実際にM課長やうちの部署が何をしているか、ではなく、
一般的にこの業界のこういう名称の部署が
しなくてはならないこと、してはならないことはこういうものです、
というマニュアルを作成したのです。
1年弱、そんなことをしていたと思います。
そこには、業界固有の内容が英語翻訳された書籍もあり、
私は「業務関連単語帳」も作成しました。
業界全体を理解し、
自分たちをとりまく法規制の構成と各々の内容概略を理解し、
専門用語を学び直した、
そんな一年でした。
1年近く経過したころ、M課長が私に背中を向けたまま、
「XXXXXの業務、お願いすることになるかも知れない」
とつぶやきました。
M課長がしゃべったのは、その一行。
それも、小さめの声。
XXXXXという単語以外何の情報も入っていません。
私は、質問しない、というルールに慣れていました。
その時までには、
私にはその単語の意味が理解できるようになっていました。
調べる場所もわかるようになっていました。
30年ほど前の当時は、
インターネットの世界にそんなに便利で検索しやすい情報が満ちていたわけではなく、
業務の指南は、ほとんど紙の本から貰わなくてはならないのが実態でした。
ですから、
情報の下地がないとどこに求める情報があるかもわからない、
というのが普通でした。
ただ私には、1年近くの、ひたすらのマニュアル作りの時間がありましたから、
マニュアルには書かなかったマイナーでレアな業務でしたけれど、
「確か、あのあたりに書いてあったな」
と当たりをつけることができました。
多分、こういうことを依頼されるのだな、と推測し、
その実施方法を本とネットから拾い、
足りない情報は、関係省庁などに電話をして聞きました。
まわりの先輩たちは、M課長の仕事がわからない、と言っていただけあり、
「それは知らない」
「それはやったことがない」
という回答ばかりでしたので、
助けてくれたのは、社外の人たちでした。
そして、
「もし、XXXXXの仕事を依頼されたら」
というタイトルの
レポートのような手順書のようなものをまとめ、
M課長の椅子の上においておきました。
M課長の机には、整理されていない書類の山があり、
見てほしい書類は椅子におけと、先輩から教えられていたからです。
「指示してくれたら、こなせますよ」
というメッセージになると狙っていました。
M課長は、見てくれました。
でも、何も言いませんでした。
結局、その仕事は、指示されませんでした。
でも、それが最後の「無視」になりました。
その後ほどなく、M課長は初めて、外出に私を同行させてくれたのです。
次回 : 30代未経験転職。放置されていた私が初めて取引先に同行した日
体験談を最初から読む
記事一覧から選ぶ
コメント