何分30年近く前の30代の話ですから、記憶の一部が正確でないことがあります。
自分にとって印象の強いできごとは結構記憶しているものですが、その前後の状況になると、記憶から落ちていることがあります。
ただ、それはある時、いきなりだったと思います。
全く予想していませんでした。
なぜなら私は、転職して1年近く仕事の指示も貰えず、上司から放置されていたので、通勤の服装にかなり緊張感がなくなっていたからです。
白いブラウスと、ピンクのレースで覆われたガーリーなスカートといういで立ちでした。
いきなり、
「同行できるか」
と、M課長にぶっきらぼうに言われました。
もちろん、
「いいえ、この服装ですから無理です」
とか、
「どうして前日までに言ってくれないんですか?」
とは言えません。
陰口でしか言えない私です。
M課長の機嫌を損ねれば、
「やっぱりお前は来なくていい」
と言われます。
面倒くさい、と感じさせたらアウトです。
なので私は、目的地の駅を聞き出し、M課長と同行者である別部門のSさんが何時に到着する予定なのかを確認しました。
別部門のSさんがいつもM課長と一緒に仕事をしていたのは知っていました。
けれど、そもそもM課長に仕事の輪の中に入れてもらっていない私は、Sさんともほとんど話したことがありませんでした。
それでも、M課長よりSさんの方が信用できると判断し、二人の到着時刻に駅の改札で待ち合わせる約束をしました。
そして私は、二人の出発時刻より1時間ほど早く、とにかく「取引先への同行」を告げられてから30分以内にオフィスを飛び出しました。
ターミナル駅まで地下鉄で15分程度。
私はショップからショップを走ってまわり、スーツを購入しました。
全く楽しくない、ストレスの大きな至急の買い物でした。
自宅には、高級でも新しいわけでもありませんが、スーツは2〜3着ありました。
そして何より、お金がありませんでした。
前日までに教えておいてくれればスーツで出社したのに、と本当に腹を立てつつ、背に腹は代えられません。
結局、35,000円でスーツを購入しました。
金額が痛かったので覚えています。
夏で良かった。冬のスーツよりは多少安く買えますから。
靴もガーリーなサンダルを履いていましたが、そこまでお金はかけられないので無視しました。
時間がないので、とにかく着られそうなものを見つけた瞬間に購入しました。
そのスーツは正直、普段の私が選ばないようなデザインでした。
その後も3〜4回着用したか、しなかったか、ぐらいの活躍だった記憶があります。
もったいないことです。
とにかく、バタバタと待ち合わせ場所に駆けつけ、なんとかM課長たちと合流しました。
「スーツを買いにいってたんだ」
とSさんは納得しながら、少し同情した顔で見てくれましたが、
M課長は、
「ふん。興味ない」
という態度でした。
後にM課長と仲良くなり、M課長をより知るようになった私として振り返ると、M課長は完全に人の服装の変化に気がつかない人ではありません。
見るところは見える人です。
けれど、本当に私がどんな服装で取引先にお邪魔しても問題ないと思っていたのだと思います。
それなのに私が一人で必死になってスーツを購入して着替えてきたので、
「そんな必要ないのに。理解できん」
という反応だったのでしょう。
いや、さすがに初めての取引先訪問で、ひらひらブラウスとピンクのスカートはまずいでしょう。
と、今でも思っています。
もし、仲良くなった状態で私がM課長の認識がおかしい、と責めたら、
M課長はきっと、顔をくしゃくしゃにして
「そんなことは、俺は知らん」
と笑って切り捨てたのだろうな、と思います。
訪問した取引先は、ある有名企業でした。
そこで私は、M課長がひたすら頭を下げる現場を目撃します。
見たこともない愛想笑いをして、相手の顔色を見て、謝罪したり説明したりしているのです。
製品の品質や原材料費について説明を求められ、説明をしても引き続き厳しい質問と苦情を受ける。
そんな会議でした。
文句を言われている内容は、M課長が何かをした、しなかった、ということではありません。
会社そのもの、特に海外本社側の方針や対応に不足がある、という内容だと理解しました。
その対応窓口がM課長だったため、彼は会議の間ずっと責められていたのです。
Sさんは、その会議の材料となるデータなどをM課長に提供する役割でした。
しかし、そのデータの不足についても責められるのはM課長でした。
Sさんと、何も聞かされずに同行した私は、M課長が大きく頭を下げる時だけ一緒に頭を下げ、あとはずっとそこにいるだけでした。
私が具体的にしたことは、最初の名刺交換だけだったのです。
そうした少数の大口取引先との会議は、毎月2回ほど、相手を変えて実施されていました。
会議で出た改善要求などは外国の本社に伝達されるそうですが、あまり対応されることはない。
そんな事情をSさんに教えてもらいました。
M課長から何かを教えてもらう、ということは、この頃にもまだ、全くありませんでした。
ただ、社内外の会議に呼んでもらえるようになった私を、Sさんが仲間として認知してくれたことで状況が変わります。
私もSさんに質問しやすくなり、いろいろと仕事のことを聞けるようになりました。
Sさんは私と同年代の男性でした。
私が時々M課長についての疑問を口にすると、M課長の口数の少なさを認めつつも、
「それは、こういうことだよ」
と、自分がわかる範囲で教えてくれました。
私の欲求不満はSさんによってかなり解消されました。
M課長の説明が増えたり、態度が大きく変わったりする前に、
私は少しずつ、M課長の仕事を、つまり自分が所属する部門の仕事を理解できるようになっていったのです。
次回 :30代未経験転職。仕事を任され始めた私と、派遣アシスタントさんとの微妙な関係
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