外資系に転職して、短期間で昇進した私。突然、ヘッドハンターからの電話を受ける

転職を重ねた60代シングルマザーのキャリアノート。 生涯続くキャリアの始まり

外資系企業に未経験で転職し、短期間で昇進をしてしまった私。
頼りにしていた上司M課長も退職し、部下持ちのマネージャーとなって、
慣れない日々を過ごしていました。

仕事がとても多くなってしまって、
私は毎日深夜まで働くことになってしまいました。
でも、毎日着実に経験を積んで、成長している実感はありました。
先輩たちも仕事は手伝ってくれませんでしたが、
メンタル面でいろいろと面倒を見てくれて、
感謝の気持ちを持っていました。
とても大変だったけれど、
当時の私のビジネス生活は悲喜こもごもで、
丸ごと否定はしたくない思い出です。
何より、あの時期は、私にとって大切な経験の一つです。

しかし、早く家に帰れないことは、大きなストレスになっていました。
誰にも強制されたわけではなく自分で選択して行動しているので、
「ブラック企業だー」
とか
「ひどい」
という感覚は全くもっていませんでしたが、
単純に、自宅から離れた場所に長時間いることが辛かったです。
子供たちとご飯が食べられない。
子供たちを物理的に近くに感じない。
朝、通勤電車に乗って、ため息が出ることがしばしばでした。
会社についてしまうと、日々の仕事に夢中になって
家のことは忘れてしまうんですけれどね。

深夜まで仕事をしてタクシーに飛び乗る生活をつづけたのには、
多少利己的な理由もありました。
早めに帰っても電車で2時間かかる。
でも、深夜のタクシーだと40分で帰宅でき、
体も楽であり、トータルで時間も節約できる感覚がありました。
一度事業部長に「毎日遅いみたいだけど、大丈夫か」と訊かれたとき、
正直にそのまま説明したのを覚えています。
「なら、いいけど。無理するなよ」と、
事業部長はタクシー使用を許容してくれました。

電車で2時間、タクシー40分というのは、
電車は乗り換えが必要だったこと、
地図上まっすぐではない経路をたどらなくてはならないこと、
地下鉄など、急行がない部分が半分あったということ、
そして、バスも使っていたことが、原因でした。
タクシーだと、
ほぼ高速で行けたこと、
深夜で混んでいなかったこと、
そして、高速のルートがほぼ直線ルートだったことにより
所要時間大幅短縮となっていました。

疲れ切っていたけれど、
会社に大きな不満はなく、
よい人たちに囲まれて過ごしていました。

けれど、会社合併の影響は止まらず、
先輩たちが一人、また一人と転職していきます。
そして、会社の中の雰囲気も、
少しずつ、変わっていきました。
合併された側にいた私たちは、
合併をした側の人達に、
何かと仕事を邪魔されることが発生していたのです。

それはとても未熟な話でした。
私たちと、合併をした側の企業では、
大きなくくりで業界は同じでしたが、
対象製品やサービスカテゴリーが全く違っていました。
だから、あちらの会社の人達は、
こちらの会社の仕事内容を理解していなかったのです。
しかし、当時の私にとっては不思議なことに、
「知らないこと」をそのままに、
尊大なプライドを顔に出し、
「こちらが合併した側なので」と不必要な枕詞を何度も使い、
自分たちのやり方で進めたいという考えを
押せる権力を持っている人が何人かいました。

例えば、
肉じゃがにはじゃがいもを入れて当然なのに、
サツマイモを入れろと指示が出て、
それでは肉じゃがにならない、
味が変わってしまう、
と説明しても
「これは業務命令です」
という言葉で押し切ろうとする。

あの時、サツマイモを入れていたら、どうなっていたことでしょう。
納品はできず、私たち側の誰かが責任をとらされていたのでしょうか。
実際は、私たち合併された会社側のチームで団結して、
理不尽で無知な要求をはねつけ、
正しい業務を実施して、問題なく済ませ、
それにより、失敗がないために
誰も責任をとらなくてよい状況は保持されました。
けれど、目立つ業務にはいちいち同様の横やりが入り、
合併した側は反省や謝罪を見せることはなく、
人間関係と社内の空気は
最悪への道を毎日一歩ずつ辿っているように感じられました。

あれは、人災だったと思います。
60代になった今から振り返るとクリアにそう思います。
でも、当時の私は、全てが初めての経験で、
いろいろなことを理解していないので、
「合併って大変だ-」
としか思っていませんでした。
仕事に混乱をもたらす人たちの行動を
「こんなもんなのかな」
と思っていたのです。

出来事は、それが「人災」であれば、
短期的に変化する可能性があります。
人が辞めたり、立場が変わったり、誰かが介入したりすれば。
でも、「合併ってこんなもんなのか」と思い込んでしまった私には、
そういう物の見方はできませんでした。
受け入れるべき現実と未来であるかのような気持ちになっていました。

不安で、
疲れていて、
人がいなくなることが寂しくて、
元気いっぱいとは言えない日々でした。

そんな時、オフィスの、私の卓上の電話が鳴ったのです。
相手はいきなり英語で話し始めました。
そして、私があまり上手く英語で反応できないことを見て取ると、
片言の日本語を交えて、
「私はヘッドハンターです」
と言ったのです。

およ? およ? およおよ?

それが私の反応でした。
人生で何十回目でしょう。
言葉の意味は理解しているけれど、「よくわからない!」という状況。

まわりには同僚たちがいました。
今から思うと、まわりの先輩たちは、
私が何の電話を受けたか、わかっていたのではないかと思います。
当時、合併で組織が事実上崩壊しかけていた時、
ヘッドハンターたちは、
それをおいしい状況ととらえ、
オフィス内の複数の人達にコンタクトしていたはずです。

ヘッドハンターがコンタクトするから人が転職するのか、
人がどんどんやめたくなっている状況だからヘッドハンターがたかるのか。
まさに
にわとりが先か卵が先か
の状況でした。

とにかく、
衝撃的な電話を受けて、
まわりの人の耳を気にしながら、
そのヘッドハンターの招待を受け、
面談のため、ヘッドハンターの会社を訪問することにしたのでした。

どうして?
転職したかったから?

いえいえ、とんでもない。
私の性格で、そんなコンタクトをもらって、
「相手に会わない」
「相手の話を聞いてみない」
という選択はあり得なかったのです。

だって、わくわくじゃないですか。

次回 : 未経験で外資系に入って管理職になっちゃったシングルマザーが、ヘッドハンターから電話をもらって、異世界への扉を開いた時の話。ヘッドハンターって何? 騙された?

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【 DonMaMa  の プロフィール 】

20代で離婚し、シングルマザーとして二人の子どもを育てながら働いてきました。

転職、起業、再就職。失敗だらけで、自己嫌悪とも長く付き合ってきました。
それでも働き続ける中で、キャリアも収入も少しずつ伸ばすことができ、子ども二人を奨学金や教育ローンに頼ることなく大学卒業まで送り出すことができました。
世界の人たちと仕事で関わる経験にも恵まれ、物の見方は大きく広がりました。

このブログでは、60代になった今だから見える、仕事、人生、無視できないお金について綴っています。

当時の失敗や遠回りを振り返りながら、今の視点で分析もしています。
あの頃の私に、こういうことを教えてあげたかったな。
あの頃、聞けていれば、私の人生、もう少し楽だったかな。
そんな思いで書いています。

あなたの人生を考えるときの、小さな参考になればうれしいです。

生涯続くキャリアの始まり離婚後の生き直し
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