未経験で転職して初めての外資系に飛びこんで、
いろいろ苦労しつつも短期間で昇進して、
部下をもって、
大幅に昇給してもらって、
何の不満もない状況であるべきでしょうか。
でも実際は、この時期は私にとってかなりつらい時期となっていました。
残業が、毎日深夜になっていました。
M課長から引き継いだ仕事。
M課長が放置していた部分。
会社合併の事務処理に関連して発生したいくつかの新規プロジェクト。
その他、みんなから依頼されるいろんなこと。
みんな、M課長に頼めなかったこと、
M課長に頼んで断られていたことを
全て私に持ってきました。
今から振り返ると、
まわりにいたのは本当に良い人たちで、
丁寧に断ればきっと、
依頼を取り下げてくれたり、縮小してくれたり、
なんとかなっていたのだと思います。
無理に押し付けよう、なんて人は、いなかったと思います。
でも、私は
部門を渡してくれたM課長、
それを支持してくれた会社の
恩に報いなければ、
と実力以上の責任感を発揮していたのだと思います。
また、問題は、仕事の数の増加だけではありませんでした。
当たり前と言えば、当たり前なのですが、
M課長から引き継いだ部分については基本的に、
スムースな流れができていたと思います。
でも、自分一人で何かを実行しようとすると、
それまでの理解では深度が足りなかったり、
または理解が網目状になっていたりで、
調べてから対応しよう、などとしていると
時間がどんどん過ぎてしまいます。
毎日深夜残業で、毎日タクシーで帰っていました。
タクシー代が全く問題なく出されていたのは、
いかに部門の予算に余裕があったか、
ということだったのでしょう。
当時は、誰も文句を言わないから
「ひたすら働く」そして「タクシーで帰る」
というシンプルな構図でした。
特に深夜になることが続いたのは、
時差のある国からの連絡や質問が夕方以降に入り、
その対応を何もしないで帰る、という勇気がなかった
ということが理由です。
残業をすると夕食代が出るので、
この頃から夜は出前か外食という悪い習慣が始まっていました。
私は、ぷくぷくと太っていきます。
そこまで働いても残業代が出るわけではないので、
給与は一定です。
私の夕食代がほぼ不要だったとしても、
家族の夕食が三人分か四人分かで食費が大きく変わることもありません。
婚約していた彼の収入が無くなって、
私一人の収入が大幅に増えたとしても、
二倍になったわけではないので、
生活に余裕はありませんでした。
当時は、「学級崩壊」という言葉が流行していた時期だったと記憶しています。
子供たちが進学するはずの地元の中学は荒れていて、
私は上の子の担任の先生から、
「できれば私立に行かせてあげてください。
地元の中学に進学したら、
おたくのお子さんは多分、登校拒否になります」
と忠告とアドバイスをされました。
確かに上の子は神経が細く、小学校の先生の誠意も感じました。
アドバイスになんとか従えないかと、
私はそろばんをはじきました。
当時の私の手取りが多分、記憶が曖昧ですが、
40万弱だったと思います。
年収にはボーナス分も含まれましたから、
毎月の手取りはそんなものでした。
以前の私からすれば、当然大幅手取りアップです。
大喜びしていたのは事実ですが、それは一瞬の事。
すぐに一馬力となった現実を思い知ります。
家賃が13万、残りが20万ぐらい。
私の仕事用の洋服・靴・鞄も最低限必要。
子供たちの洋服も必要。
携帯代も必要。
となると、生活に余裕は全くありませんでした。
ただ、家賃分も入れた手取り16万で
親子三人生きていた時期もあったので、
なんとかなる、
という持ち前の無鉄砲、
前にしか向かない性格で、
夏季講習などを含め、平均で月々6万ぐらいかかる進学塾に
上の子を入れました。
仕事をしていなかった彼は、家事をしてくれていました。
がんばっていたと思います。
でも、彼には家計を管理するという感覚が低く
贅沢をしないからいいだろう、という感覚で止まっていたようです。
贅沢しなければよい、なんていう生活は「夢」です。
贅沢なんかしなくったって、毎月少しずつ赤字。
贅沢どころか、必要なものを買うのも躊躇して、
結局買えなかったりする、
それが現実です。
私が親子三人で生きていた時、
牛肉も、果物も、ベーカリーのパンも
贅沢品でした。
ほんの時々、理由をつけて購入していたものです。
でも、彼による買い物は、二人で働いていた時と、
あまり変わらない内容のままでした。
時々の牛肉、菓子パン、スナック菓子、果物、清涼飲料水・・・
結果的に、うちのエンゲル係数は、貧困レベルに高かったと思います。
実際は貧困ではなく、
節約ができていない結果、「贅沢なものを食べていた」ということなのですが、
自分のコントロールが効かないところで
少しずつ赤字が出るのは、
心理的に結構辛かったです。
その経済状況は、基本的にはその後も続いていきます。
私は、全てを現金処理することで、なんとか家計を締めていこうとしていました。
平日は夜中に帰宅。
子供たちと食事が一緒に食べられない。
収入が上がっても、1円も残らない。
ボーナスで毎月の赤字を補填して、わずかに残ったお金を貯金する。
地方暮らしで、数字的にはもっと少なく稼いでいた時より、
心は確実に疲弊していきました。
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