初めて、リクルーターを介して転職!
転職したのですよ。私。
初めて、ヘッドハンターと自称するあやしい外国人と仲良くなりつつも、
横から自己主張してきた日本人リクルーターの紹介してくれた会社に、
転職したんです。
給与交渉ができる世界を始めて知りました。
年収が大幅アップしたことで、興奮状態でした。
通勤時間も、片道2時間近くかかっていたものが、
ドア to ドア で1時間以内に短縮できていました。
文句ありません!
東京に来てから、一番の問題となっていた
通勤時間が解決できたのです。
文句ありません!!
けれど、私はここで、
人生最大のカルチャーショック
に見舞われます。
前回までに、私は、沢山の
「知らなかったこと」
「新しく知ったこと」
などを書いてきました。
けれど、
転職した2つ目の外資系企業で出会ったものは、
本物の「違和感」でした。
この会社に転職して、
私は一つ目の外資系企業がいかに、
まともで、暖かく、
それまで私が経験した世界とのギャップが小さかったかを思い知りました。
M課長が私を無視していたのには、
M課長なりの理由がありました。
M課長シリーズの最初の記事 : 定時に帰れる! 同調圧力のない職場と、自由すぎる上司への戸惑い
そして、時間を経て、問題は解決されました。
オフィスでみなさんが互いに挨拶をしない空気だったのにも、
理由がありました。
そして、私が挨拶を続けると、
みなさんもそのうち挨拶を返してくれるようになりました。
未経験で転職。東京で初めて務めた外資系。挨拶したら、全員から無視されました。
基本的に暖かい人達でした。
でも転職したこの会社では、どうにもなりませんでした。
人生最大のカルチャーショック。解決されない違和感と高い離職率
今回は、何があったか、という実際のできごとは少なめにして、
どんな雰囲気だったかをお伝えしたいと思います。
今から数十年昔の話ですけれど、
どうしても私の体験や当時の心境は、
公平に冷静にお伝えすることが難しい気がします。(苦笑)
その会社では新しく入った人が、
私の知る限り最短2か月で辞めていきました。
入社して2年も経過すると、「古株」と言われました。
部署によって離職率にはバラツキはありましたけれど。
全体の2割程度、入社10年以上という人達がいました。
この人たちが、会社の空気を構成していた気がします。
どうしてみなさん、2か月とか、3か月で辞めていくんでしょうか。
辞めていく人達と会話したり、
私自身が感じたポイントをいくつかお話ししますが、
一つ一つをとれば、
他の会社でもあることかも知れません。
ただ、事例が多く、それに満ちていた、
という空気感はなかなかのものでした。
怒鳴る人、いました。
わめく人、いました。
上司から説教されて、泣く人、いました。
仲良しグループがたくさんあるのですが、グループ外には冷たいという人達も多かったと思います。
他にも私にとって驚くことはたくさんありましたが、
今回はオフィスの雰囲気を構成するものを中心に一部をお話しします。
怒鳴る人、わめく人、泣く人
怒鳴っていたのは、
私から業務上距離の遠い人だったので、
理由とか内容はよくわかりませんでした。
わめく人は、私のすぐ近くの人でした。
社歴が長い人で、
何か上司との間で気に入らないことがあったらしく、
「やめてやるよ」
とオフィスの真ん中で大声でわめいていました。
結局その方は定年までいましたけれど。
会社に長く貢献してきた人、ということで、
前の会社のM課長を思い出し、比較してしまいました。
あのもじゃもじゃ親父、大人だったんだ・・・と心が温かくなりました。
話題に出ているもじゃもじゃのM課長シリーズの最初の記事 : 定時に帰れる! 同調圧力のない職場と、自由すぎる上司への戸惑い
ちなみに、この話、M課長(当時は部長)に会ったとき話しました。
笑っていました。
上司から説教されて泣いていた人は、40歳の男性でした。
かなり高い学歴と、かなり高いプライドをお持ちの方で、
お仕事を指示されてもなかなか素直に実施することはなかったそうです。
ただ、業務上の関係がなかったので、事実かどうかわかりません。
私は、この方が結構分かり易く泣いていらっしゃるのを、
たまたま廊下で目撃してしまったのです。
ギスギスした空気。「昔はもっと先輩が怖かった」と嘯く、先輩たち
全体的に、人間関係が悪い会社でした。
ちょっと断定的な言い方ですが、
当時、その認識を共有していた人達は多かったと思います。
その上で、
「だから何?職場ってそんなもんでしょう」と言葉にする人も多かったですし、
「この会社は給料が高いから、いいんだ」と言う人も、本当に多かったです。
世界的には歴史のある会社でしたが、
日本支社の歴史は長くなかったので、
社歴10年以上の人達の年齢は決して50代などではありませんでした。
30代も多かったのですが、
新入組に対しては、明確に線を引いていて、
なじむことはなかったと思います。
当時は、そこまで達観した観察をしていなかったのですが、
今から振り返ると、そう思います。
「仲間になる」という扉はかなり厳重に隠されていたと思います。
そして、その人達の何人かが、時々異口同音に、
「私たちが入社した時なんか、先輩はもっと怖かったよ」
「ねー」
という、私の感覚からするととんでもないセリフをおっしゃっていたのです。
後輩に仕事に関する説明を求められても、拒否する時、
後輩たちの楽し気な談笑に冷ややかな目を向ける時、
後輩の業務上の相談に対し、「その話は聞きたくない」という言葉を返した時。
昭和の時代のお姑さんが、嫁いびりをする時に
「私の若いころはね・・・」なんて言っていたという
ドラマの中のワンシーンを思い出しました。
おしんか・・・
私にも仲良くしている同僚がそれなりにいました。
入った時期が近い人達と仲間になれたことは、ありがたかったです。
「この会社で生きていく方法」みたいな話をいろいろと交わすことができました。
でなかったら、私も「数か月で退職組」に入っていたかも知れません。
ただ、その仲間の中でも、日々起こるいろいろな出来事に対する感度は同じではなかったと思います。経験と、性格によって・・・
年上の方や、外資系勤務経験の長い方々、
そして、元々それができる性格の方々は、
全てを流しているようでした。
少なくとも、私よりは多くを流せていた人たちが、
私より長く、あの会社に残っていたと思います。
私は、仲間の助けがあっても、日々消耗していきました。
朝、仕事に行くのが嫌だ、という感覚を人生で初めて感じるようになっていました。
前の会社で、上司に無視されていても、そうは感じなかったのに・・・
ただ、
私は、その会社に入ったことを「良かった」と思っています。
今となっては、その会社を悪く思っていません。
カルチャーショックは成長の機会。それは順応できるかは別だけどね
あの会社のこと、決して好きだとは思えませんし、
当時は「ドラマの中の意地悪な人達のセリフ」をオフィスで耳にして驚くことが多かったのも事実です。(笑)
会社そのものを否定する気持ちはありませんが、
私にとってはネガティブな驚きに満ちていましたし・・・
人生最大のカルチャーショックでした。
けれど、人生最大のカルチャーショックということは、そこに多くの「新しい」がつきつけられているということです。
「新しい」「今までと違う」が大きければ、
そこに順応するためには自分が大きく変化しなくてはなりません。
良し悪しではなく、自分が納得できていないものへの順応は、抵抗感につながります。
私にとって、この会社での時間は、苦痛でした。
その会社が私に要求する「変化」が、正直すぐに理解できませんでしたし、
理解できなかったので、納得もできず、
強く抵抗感をもっていました。
私の地獄は、そういう類のものだったと思っています。
どっちが良い悪いではなく、馴染めなかった。
でも仕事は、そう簡単に辞めたり変わったりできない。
生活の心配もあるし、
過去に何度も短い期間で転職していたことで、劣等感もある。
そして、何より、申し分のない給与を出してくれる会社は多くない。
捨てられないから苦しむ。
けれど、
結果的に私はその会社に適応することはできなかったけれど、
それでも、多くを学ばせていただいた事実はあるのです。
次回は、そちらをお話ししたいと思います。
次回 : 転職したら適応力が必要。ゴール設定の仕方に違和感を覚えたこと
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