年収を100万円以上下げて転職した理由。キャリアのために、年収より大切だと判断したもの

生涯続くキャリアの始まり

先に申し上げると、
私が高給をくれるG社を辞めて、年収を100万以上下げてでも転職しようとした理由は、「このままここにいたら、歳をとった時に”仕事ができる人”になることができないだろう」と言う危機感からです。

人生で2番目の外資系企業、G社を、私はどうしても好きになれませんでした。
G社には、良い点がたくさんありました。
・財務的に強く、買収される心配がない。
・扱っている製品も企業の歴史も素晴らしく、働いていることを誇れる会社だった。
・常に高収益で、社員の報酬も高かった。
・お金をかけたイベントやトレーニングプログラムで多くの教育を受けられた。
・海外出張にも行かせてもらえた。
・希望をすれば、いろいろな仕事をさせてもらえた。

その中で、それを私が好きだったか否かは別として、業界内の噂や、同僚たちの給与情報を含むいろいろな話を聞かされる日々は、一生の判断の礎となるキャリア感とか、業界内の人に対する観察など、やはり多くを私に与えてくれました。

私がG社を好きになれなかったのは、カルチャーギャップの一言で説明できるかも知れません。
大きな組織ですから、いろいろな問題はありました。
多くの人がいましたから、好き嫌い、いろいろ感じました。
本当に意地悪な人もいたし、本当に素敵な人達もいた。
特に、本社から出向していた素敵な人事部長は、戸惑う私にいろんなアドバイスをくれました。
その人からも、この先のキャリアや行動に影響するものをたくさんいただきました。

けれど、好きになれなかった。
それは事実です。
私は、いろいろ考える日々を過ごし、
結果、思い切った転職に踏み出しました。

社員が国内だけで数千人の大企業から、
日本法人を立ち上げたばかりのベンチャー企業に転職したのです。

求めたものは、

実力

でした。

東京に来て、最初の外資系企業では、M課長しか見えていませんでした。
ただ、結果として、それは私にとって大正解だったのです。
当時はそんなこと、気付いていませんでしたけれど。
30代で転職したら、上司から無視された。仕事をもらえず孤独だった新入社員時代

M課長は、年商100億のビジネスを長年一人で守っていました。
取引先ネットワークを構築し、輸入から販売までを実質一人で守っていたのです。
入っては辞めていくマーケティングの人はいました。
取引先管理の担当者もいたことがあったそうです。
私みたいな、部下やアシスタントもいました。
けれど、その人たちは全てサブキャラで、本筋の一本はずっとM課長が支えていたのです。
だから、M課長にはいつもストーリーがありました。
説明は上手くないし、説明自体してくれないことが殆どでしたけれど、
何のために
何をしなくてはならない
そのためにはこういう方法をとる
これが、会社の売り上げにどう貢献するか
近くにいると見えるのです。
やらなくてはならないことはやる。
ものすごい仕事の種類と量でした。

けれど、
水源から
水を引いて
浄化して
水道管を整備して
各家庭に届け、
蛇口をひねるときれいな水がでる
その工程が見えた状態で仕事をすると、
何か問題が発生したとき、
その原因がすぐにわかります。
やらなくてはならないことがわかります。
もちろん、原因によっては簡単に解決できないことも
妥協しなくてはならないこともありますけれど。

対して転職した先のG社では、
まず、全容は何につけても見えませんでした。
それぞれが担当している仕事が分断されているので、
その前も先も見えないのです。
問題が起こっても、
全体を見て、解決に向かう人の姿は見えませんでした。
部長クラスの人達も変わりのない印象でした。
下の者よりは情報をもっているはずですが、
「そこはどうにもできないんだよね」
というセリフを多く聞きました。

それなりに仕事を見つけ、
数年頑張りましたけれど、
なんだかスッキリしないものがいつもあり、
前の会社では感じなかったな、
と、以前の環境を懐かしく思い、
何が違うのだろう、と考え続けました。
そして、問題発生した場合に必要な全容が見えないことが多いことと、
問題個所が特定できた場合にそこを解決しても、
まわりにその意味が理解されないこと、
まわりの人達は、全く別の視点で物事を見ていることに気づいたのです。
評価してくれる上司もいましたが、
陰口や、ドラマで見るような足のひっぱりも経験しました。

私は、M課長がいろいろと
会社への貢献の割に大切にされない経験をされてきたのも
見たり、聞いたりしていました。
自分自身が多少の経験をして、
M課長の気持ちを想像したりするのですが、
次第に決定的なことに意識が向くようになっていました。

私には、M課長ほどの実力がない。

あのままもし、M課長に譲ってもらったポジションにい続けることができれば、
いずれM課長のように
全てを理解し掌握し
うまく仕切れる私になっていたかも知れません。
けれど、社内は混乱していて、
私は転職を決意し、
入った会社ではいろいろと新しい物に触れたけれど
一番自分に必要なものが、
このままここにしたら、手に入らない。

仕事をする力。

それを手にいれるため、私は、年収を100万以上下げて、
本来4セクションの仕事を一人で実施しつつ、部門を立ち上げていかなくてはならない
ベンチャー企業に移ることに決めたのです。

それは、あの時大きなお金を捨てた自分を、
後に何度も褒めたくなった、
・・・正しい選択でした。

次回 : いま、書いてます

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【 DonMaMa  の プロフィール 】

20代で離婚し、シングルマザーとして二人の子どもを育てながら働いてきました。

転職、起業、再就職。失敗だらけで、自己嫌悪とも長く付き合ってきました。
それでも働き続ける中で、キャリアも収入も少しずつ伸ばすことができ、子ども二人を奨学金や教育ローンに頼ることなく大学卒業まで送り出すことができました。
世界の人たちと仕事で関わる経験にも恵まれ、物の見方は大きく広がりました。

このブログでは、60代になった今だから見える、仕事、人生、無視できないお金について綴っています。

当時の失敗や遠回りを振り返りながら、今の視点で分析もしています。
あの頃の私に、こういうことを教えてあげたかったな。
あの頃、聞けていれば、私の人生、もう少し楽だったかな。
そんな思いで書いています。

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