入ってくる情報の量の中で、選別して学ぶ力が不足していた私
お金をたくさん持っている、
財務がとっても強い、
みんなの給与がとっても高い
そんなゴールド株式会社(以下、G社と言う)では、
私は残念ながら、
在籍中に十分な学びを得ることはできませんでした。
学んでいない。
学べるものがなかった、ということではありません。
もがきながら働き、
なんとか成果を上げていく中で、
「知ったこと」はたくさんありました。
「知ったこと」を咀嚼して、
「学び」とするには、
「知る」→「理解する」→「検討する」→「納得する」または「捨てる」なんなら、再度「捨てたものを拾う」→「気づく」→「学び」とすることができる。
こんな過程が必要で、
それを自分一人でがんばるには、時間が必要でした。
その間入ってきたいろいろな情報。
いろんな人がいろんな仲間に入れてくれました。
時間を共有し、その人達の話を聞きました。
先輩・同僚たちのお金に関する自意識?
全員とは言いませんが、比較的多くの人がよく口にしていたことがあります。
高給取りであること
財務基盤のしっかりした、吸収合併されることのない会社に所属していること
業界内で一位の会社であること
それに対する「誇り」のようなもの・・・
実際G社のことは、世の中のほとんどの人が知らないと思います。
けれど、ある小さな業界の中では一番の技術力と、売り上げと、そして、社員への金払いの良さを誇っていた会社だったのです。
誇りを持つことはよいことだと思います。
ただ振り返ると、その誇りについて口にする時には、前後に「辛いけど」などという言葉が付いていた気もします。
誇りは嘘ではなかったのでしょうが、その誇りが誇りとしてのみ単独に存在していれば、あれほど口にされていたでしょうか。
それは正直、今でもわかりません。
以前の記事でもお話ししましたが、
みなさん、よくお金の話をされていました。
誰かが誰かに話せば、噂としてかなり広まる環境でした。
人と金額が結びついた具体的情報が、頻繁に入ってきました。
少しずつ、価値観・世界観が影響を受けた
私は、G社での自分の給与に満足していました。
けれど、自分の給与がG社内の同年代の人と比較して低いということも知ってしまいました。
以前に私は、社内の同年代の人と比較して、自分の給与が低いことを不満に感じ、
リベンジのために起業をしたことがあります。
リンク
でも、その時の経験から、
起業をしたとしても常に速やかに成功できるとは限らないこと
を学んでいました。
それだけでなく、世間の平均給与については承知していたので、
G社内では低い給与でも、社外の水準においては満足だったので、
結果としてその時の自分の給与に不満を感じていなかったのです。
ただ、少しずつ、本当に気が付かないうちに、世界に対する自分の見方、みたいなものが変化していったのです。
私は現実にこれぐらいの給与しかもらっていないけれど、
世間にはサラリーマンでもこれぐらいもらっている人たちがいて、
業界の平均はこんな感じで、
給与を上げるためにはこんな条件があると有利だ、
などということを本当に毎日のように先輩たちから聞かされていたのです。
いきなり自分の全てが変化したわけではありませんが、
私が、その後20年ほどをこの業界の中でどういう価値観や常識をもって生きるかの礎の一部は、確かにこのG社での勤務経験によって種を植え付けられた気がします。
知らなかった価値観を肯定していないけれど、抵抗もしていなかった無垢な田舎者
お金がある人が上。
私から見えた人達の中では、この時代、資産の話より、年収が高い人が上。
年収が高いということは、能力評価されてポジションが上がっているから、上。
年収が高いということは、「人が羨む高水準の給与の会社」に勤められている。採用される評価を受けているから、上。
努力した人、
上手く動いた人、
かしこい人は、
ある程度の高給をとっているはず。
高給をとっている自分たちは、誇りを感じる側である。
私が受け取っていたメッセージです。
どんな場面でそれを感じたかを書くと膨大で似たようなエピソードの繰り返しになってしまいます。
ここでは、「ああ、この人はそう受け取ったんだな」程度にお読みください。
私は、正直、そういう感覚に気づいて、
そういう感覚に晒されながら、
抵抗も、積極的に染まることもしていませんでした。
別に同僚たちを嫌っていたわけでもなく、
G社には尊敬できる技術・歴史がいろいろとあり、
毎日いろいろとすぐには納得のできないことが起こるカルチャーギャップの中で、
理解を進めながら、
苦しみを私個人の問題・課題として認識しながら、
私は、少しずつ、染まっていたのだと、60代になった今、初めて意識的に感じています。
それは、60代になり、仕事の完全引退をいつにしようかと悩む日々の中で、
ずっと長い間自分の中にあった、
なんとなくの違和感
「私ってこんな人間だったかしら」
という思いを整理する時間の中で、
思い起こしているものなのです。
田舎にいたときにはわからなかった、
最初の外資系では、当時の部長たちがもらっていた年収を課長クラスがもらっている、
そんな支払い水準の高い世界。
「こういう世界があったんだ」
という発見をしつつ、
そして私は・・・
私は、ずばり
100万円以上年収を下げる転職を
自ら能動的に
行うのです。
ちょっと、意味わからない ですか?
次回、説明したいと思います。
次回 : 年収を100万円以上下げて転職した理由。キャリアのために、年収より大切だと判断したもの (coming soon)

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