パラレルワールド想像(初めての外資系企業編):  もし、私が転職しないで、ずっとあの会社で働いていたら

パラレルワールド もしあの時そう決断しなかったら?

パラレルワールド想像って?

60代となった私の、
若かりし頃のキャリアについてのお話をさせていただくにあたり、
時々、
「もし、私がずっとあの会社にいたら、私の人生はどうなっていたか」
という、いわゆる「パラレルワールド」についての私の想像を書いてます。
パラレルワールド想像(地方勤め大企業編):  もし、私が起業しないで、ずっとあの会社で働いていたら

今回は第二回目です。

パラレルワールドはあくまで想像。違う選択をした結果の現実は、わからない。

パラレルワールドの振り返りでは、
比較的「一般的にはどう考えられるか」に焦点を当てたいと思います。
どんな上司に当たるかで、現実的にキャリアも変わってきます。
そういう個別の運不運を言い出したら、
どんな環境でも、
発展はあり、
落ちることもあります。
それは想定で語ることが難しいので、
個別の要素は、「わからない」とするしかありません。

つまり、私がここでどんなに「辞めてよかった」と振り返っても、
実際にその現実を進んだら、
予想もしなかった良い結果になっていた可能性は十分にあるのです。

もし東京で初めて務めた外資系の会社を「辞めなかったら」どうなっていたか。

転職の後も、しばらくの間昔の同僚とは会っていました。
そこで聞いた話、業界内で聞こえてきた情報によれば、

私が初めて務めた外資系企業は、
私が退社した後、多くの空いているポジションを中途採用で埋め、
ほぼ、新人さんたちで運営される会社となっていました。
いろいろと業務上の問題が発覚した時に、
「古株の社員」や「退職した社員」の責任にする風潮が強くあったそうです。
ある部署のマネージャーが理不尽に責任を問われ、
怒って退職していったという話を聞きました。
そのマネージャーは、私も業務上近い位置にいた方で、
もし私があと半年あの会社にいたら、
高い確率で私もそのマネージャーと同じ「問題を発生させた人」として
扱われていたのではないかと思います。

ここでは、どんな問題があって、
どんな責任の問われ方をしたのかは書けませんが、
責任のある人の一人として、実際に私の名前が挙がっていたと聞きました。

実際のところは、私は何も問題行動をしていません。
タッチしていなかった、とすら言えます。
その問題を起こしたのはグローバル本社です。

けれど、新しく会社に入ってきた人たちが、
絶対に自分たちの責任にならない過去の出来事について、
機嫌をとりたいグローバル本社の責任にするよりも、
辞めていった人の責任として事を片付け、
社内の空気を責任追及より解決の方向に向けようとすることは、
よくあります。

60代の私は、決してそれが全て間違っているとはいいません。

ただ、当時の年齢と経験値の私だったら、
「まるで犯人」という扱いを受けた時に、
どう対処してよいかわからず、
M課長のように守ってくれる人もいなければ、
そこにはいられない気持ちになっていた可能性は高いと思います。

その一過性の嵐の時期を無事にやり過ごしたとしても、
その会社はまた、再度より大きな会社に吸収合併されてしまいます。

私が退職した2年後にある大手に買収されたその会社は、
その数年後、今度は、一部を売却してしまいます。
その売却された部門が、私が属していた部門です。

私は、再度の買収と、一部事業の売却によるスピンオフ。
そして、その後次々と発表された事業縮小を、
社内にいながら耐えられただろうか、と考えます。

・・・ほぼ、無理だったと思います。
もっと安定した環境を求めて結局転職していたことでしょう。

生涯年収やその他私の人生はどうなっていただろうか?

業界内の情報をある程度持っている今の私から見れば、
私が入社した時、その会社の給与水準は、外資系企業としては平均的だったと思います。

その後買収された買収元は、大手であり、給与水準はそれなりに高かったのですが、
もし、私がその組織に長くとどまっていたとしても、
大きくポジションが上がる要因は見えず、
買収元から来た上司の下に入れられ現場仕事を担当されられたでしょうから、
通常の昇給を期待することが関の山だったと推測します。

すると、一年で1.5%ずつ昇給したとして、
60歳時点でやっと年収1000万です。
途中で部長に昇格できていれば、1500万以上をもらっている可能性はありますが、
複数回の吸収合併をされて、
その後、スピンオフされて、
事業縮小をする中で、
内部からの昇格は可能性が低いでしょう。

マネージャーまでの昇格人生だったとして、生涯年収の概算を想定すると、
60歳までで、2億6000万ほどです。
前回のパラレルワールド想像記事でご紹介した大卒女性の生涯年収には到達していますから、
数字としては満足していたかもしれません。

しかし、東京での暮らしは固定費が高いことと、
子供たちが成り行きで私立に進学したこともあり、
「足りない」と感じて転職していた可能性は、非常に高いです。

もちろん、人生はお金だけじゃありません。
けれど、子供を育てなくては! に全振りしていた私としては、
教育費に余裕がない状況で「自分のやりがい」を優先する発想はなかったと思います。

最初に入った外資系の会社、
M課長も、変な部長も、まわりの先輩たちもあったかくて好きでしたけれど、
私が転職した2年後には、もう誰も残っていませんでした。

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人が誰も残っていなければ、それは同じ会社と言えないのではないでしょうか。

一人そこに残り、いろんな嵐を潜り抜け、一番の古株になっていたら、
職業人生が、その会社によって埋められていたことになります。
会社に対する愛着を持つことになっていたでしょう。

その場でがんばった自分の時間に対しての愛着が発生したのではないかと思います。

事業縮小のタイミングで降格や退職勧奨を受けていたら、
かなり大きなダメージを受ける私になっていたことでしょう。

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【 DonMaMa  の プロフィール 】

20代で離婚し、シングルマザーとして二人の子どもを育てながら働いてきました。

転職、起業、再就職。失敗だらけで、自己嫌悪とも長く付き合ってきました。
それでも働き続ける中で、キャリアも収入も少しずつ伸ばすことができ、子ども二人を奨学金や教育ローンに頼ることなく大学卒業まで送り出すことができました。
世界の人たちと仕事で関わる経験にも恵まれ、物の見方は大きく広がりました。

このブログでは、60代になった今だから見える、仕事、人生、無視できないお金について綴っています。

当時の失敗や遠回りを振り返りながら、今の視点で分析もしています。
あの頃の私に、こういうことを教えてあげたかったな。
あの頃、聞けていれば、私の人生、もう少し楽だったかな。
そんな思いで書いています。

あなたの人生を考えるときの、小さな参考になればうれしいです。

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